全日本漢詩連盟 The All Nippon Classical Chinese Poetry Association

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(2007年06月03日)

富士山と高松の柴野栗山

全漢詩連会長  石川 忠久

6月3日(日)、髙松へ飛ぶ、四国漢詩大会に併せて、漢字文化講演会を開催し、「大江戸の詩人たち富士山を詠う」と題する講演を行なうためである。公募漢詩の入賞者の表彰や入賞作の吟詠などのあと、まず徳川恒孝氏が「江戸三百年の仕組みと心」と題する講演。

次が私で、最後に徳川氏と地元の殿様の後裔松平頼武氏のトーク「徳川家と松平家」、司会は漢字文化振興会の白石宗靖事務局長が務めた。会場は大入り満員の盛況であった。

私の話は、富士山を詠う詩が、江戸時代に入って、石川丈山を皮切りに盛んになり、室鳩巣、荻生徂徠、秋山玉山と受け継いで、柴野栗山に至って頂点を極めた。というのが骨子である。柴野栗山は髙松の人であるので、ご当地の先賢を顕彰する意味もある。

栗山は抜擢されて江戸の昌平黌の教授となり、寛政の改革に力を尽くした学者、寛政三博士(尾藤二洲、古賀精里)の一に数えられる。詩も善くした。栗山の富士山の詩の基づく所は杜甫の「望岳(岳を望む)で、この山は泰山だ。中国には富士山のような山はない。そこで栗山は、古く山部赤人が「万葉集」の中で詠っている富士山への敬虔な尊崇の念を、杜甫の泰山詠を骨格に、たくみに詠い上げ、新しい詩境を開いたのである。

徳川さんは日帰りだったが、私は一泊し、翌日は地元髙松で明善学園を経営しておられる黒木矩雄ご夫妻に案内され、幕末の侠客にして詩人の日柳[くさなぎ]燕石の故宅跡、その前に立つ矩雄氏の祖父に当る黒木欽堂[きんどう]先生の燕石頌徳碑(立派な漢文)、隣りの春日神社などを参観する。

欽堂先生は、明治の初め、東大が二回だけ学生を選抜した古典講習科のご出身で、学界・教育界に大きな足跡を残した人である。その令息、すなわち矩雄氏の先考の典雄氏は私の大学の同じ学科の大先輩に当る。

いろいろ参観した後、弘法大師が開かれたという満濃池という貯水池のほとりで一服、美味しい抹茶とお菓子をいただいた。

満濃池
水亭四境緑森森 水亭の四境 緑森々
幽処無人聴野禽 幽処人無く 野禽を聴く
淼淼讃南鏡池上 淼々[びょうびょう]たる讃南 鏡池の上[ほとり]
清風吹渡滌塵心 清風吹き渡って 塵心を滌[すす]

弘法大師の「仏法僧鳥を聞く」を意識して詠じたつもり。半日の清遊を楽しみ、昼過ぎの飛行機で帰京した。


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