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会長通信
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平成20年10月18日(土)、8時45分羽田発全日空にて松山10時10分着。松山駅よりJR急行宇和海10時21分発、宇和島12時38分着。
宇和島は空港がないので、遠い感じだが、それでも四時間弱だ。
天気上乗、会場の南予文化会館へ。昼食、休憩の後、徳川恒孝氏の江戸文化の講演、引き続いて「四国に縁りの詩」と題して、柴野栗山(讃岐)、尾藤二洲(伊予川之江)、簡野道明(伊予吉田)、中野逍遙(伊予宇和島)、斎藤荊園(同)の詩を語る。川之江から態々[わざわざ]尾藤二洲顕彰会の皆さんが聴きに来られた。
同じ愛媛県でも、東北と西南、相当の距離がある。
簡野道明は、『字源』や『唐詩選詳説』上下でお世話になった人も多いだろう。その他中国古典の解説や注釈の書を沢山出した学者である。
五十歳の時、女高師(お茶の水女子大の前身)教授の職を擲って著述に専念する傍ら、大森に閑雲荘を構え詩を詠じた。昭和13年に74歳で亡くなった。
中野逍遙は、本名重太郎。東京大学予備門(教養学部の前身)で夏目漱石や正岡子規と同級。
大学へ進んで漢学科の第一期生として卒業したが、その年の暮に27歳の若さで亡くなった。
その作品は短い人生にかなり多量に残され、『逍遙遺稿』として出版されている。今は「岩波文庫」にも入れられており手に入れ易い。
作風は詞藻豊かに豁達自在、艶情を詠うものも多い。あと十年、二十年の齢を仮したなら日本の漢詩の流れは変ったであろう。
漱石の漢詩ともどう関わっただろうか。とにかくその早逝が惜しまれてならない。
斎藤荊園は、名は晌。東大の西洋哲学科に学び、阿藤伯海と学友となった。
漢詩文の造詣は深く、阿藤とも詩の応酬をしている。阿藤の遺稿集『大簡詩草』の編纂にも関わった。集英社の「漢詩大系」の『唐詩選』上下など漢詩の著述も数多い。
裁錦会という漢詩会があり、昭和44、45年ごろ招かれて入会したところ、会の柄を執っておられたのが荊園先生であった。
当時七十余歳。それから7、8年、2ヶ月に一回の会で親しくお話を伺ったが、実に的確に詩の評をされたのが印象に残っている。
さて、講演も無事済んで、翌日、逍遙の詩碑を弔い、駅前の古本屋で『逍遙詩沙』という冊子を見つけて買い求め、宇和島を後にしたのであった。


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