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随想もろもろ
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絶句における起承転結とはいかなることか。これを誰もが正しく理解できるように説くことは、なかなか難しいようだ。
折も折、会報第13号に掲げられた、窪寺常務理事による「日本唱歌の歌詞にみる起・承・転・結」の高説を、大いに関心をもって読んだ。同理事は、鉄道唱歌を一例として懇切に説いておられる。
また浅岡監事は、同じことを説くのに、「カステラ一番、電話は二番云々」の歌を使われるともあり、これまた肯綮にあたる。昔時頼山陽が俗謡をもって説いたごとく、今時の諸先生もそれぞれ工夫をこらして、後進を指導しておられることと拝察する。
そこで、私はここに2つの俗謡を示し、もって会員各位のご検討に供したい。
船頭小唄(野口雨情作詞)
おれは河原の枯れすすき
同じお前も枯れすすき
どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき
ズンドコ節(作者不詳)
一年前には知らなんだ
半年前にも知らなんだ
若い二人がいつの間に
こんなになるとは知らなんだ
毎句、起承転結の働きをしていると思うが、どうか。なお、船頭小唄にあっては「き」の音でズンドコ節にあっては「だ」の音で押韻していると思われる。この2つの歌を同時に示せば、押韻についても容易に説くことができるのではないかと愚考する。
以上は、私が特に心がけて探したのではなく、数年前たまたま気づいたに過ぎない。これが絶句の形式・構成を説く上で用うるに足るや否や、全員各位のご一考を煩わしたい。
船頭小唄を漢詩にしてみると──
| 枯れた真菰に照らしてる | 枯菰今夜影分明 |
| 潮来出島のお月さん | 十二橋邊素月清 |
| わたしゃこれから利根川の | 刀水滔滔流不盡 |
| 船の船頭で暮らすのよ | 扁舟一櫂託殘生 |


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