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「江南華麗地 金陵帝王州」と歌われるように、古来南京は王城の地で、三国時代の呉から中華民国に至るまで、十種の政府の首都であったため、十代故都とも呼ばれています。秀麗明媚な風光に恵まれた上に、文物史跡も豐富で、昔から幾多の名だたる文人墨客が勝遊を楽しみました。本稿では、無数の勝地のうち、南京城東の中山陵を御紹介したいと思います。
中山陵は孫文の陵墓で、松柏鬱然たる紫金山の南麓に築かれています。八萬?の墓域には博愛牌坊、石階、陵門、碑亭などがあり、最奥部の祭堂に孫文の遺体が安置されています。 周知の如く、孫文は近代中国建国の父で、1年間で首相を辞めてしまう、どこかの国の政治家とは全くスケールの違う大人物です。
ただ、革命遂行にあたってはなみ大抵の苦労ではなく、ハワイでは興中会を、日本亡命中には中国革命同盟会を結成したりして、文字通り海外に奔走しました。
なんとか清朝打倒には成功したものの、「大皇帝」が去った後には「小皇帝」の軍閥がのさばるばかりで、真の意味では三民主義を実現できず「革命なお未だ成らず」という無念の言葉を殘して北京にて長逝しました。
遺体は、1929年に南京に運ばれ、同年6月に奉安大典が挙行されました。 大革命家の眠りが安らかであることを祈るばかりです。
この中山陵を詠じた作品は数多く殘されていますが、ここでは南京詩詞学会会員で、同会機関誌「南京詩詞」の主編である王宜早老師の作品を御紹介致します。
王老師は、私が現在勤務している南京暁荘学院大学の書法家で、私如き若輩を相手に、にこやかに詩の応酬をして下さる大人です。老師の風韻ある高作を御鑑賞下さい。
| 直上萬松頭 | 直ちに上る 万松の頭 |
| 憑欄豁遠眸 | 欄に憑って 遠眸を豁く |
| 際天靑疊浪 | 天に際く 青畳浪 |
| 滿目翠浮樓 | 目に満つる 翠浮桜 |
| 絡繹長階客 | 絡繹たり 長階の客 |
| 聯翩四海鷗 | 聯翩たり 四海の鴎 |
| 可聞鐘擺響 | 聞くべし 鐘擺の響きの |
| 鏜鞳震神州 | 鏜鞳として 神州を震わすを |
(下平十一尤韻)
次に分不相應にも私が次韻した腰折れを、恥ずかしげもなく御紹介致します。
| 參詣紫金山曲頭 | 参詣す 紫金山曲の頭 |
| 滿林翠綠洗雙眸 | 満林の翠緑 双眸を洗う |
| 敬光復業拝陵墓 | 光復の業を敬いて 陵墓を拝し |
| 稱革命功朝廟樓 | 革命の功を称えて 廟楼に朝す |
| 中外驅馳如躍馬 | 中外に駆馳して 躍馬の如く |
| 東西奔走似翔鷗 | 東西に奔走して 翔鴎に似たり |
| 三民主義長無滅 | 三民主議 長えに滅ぶこと無く |
| 國父威名垂九州 | 国父の威名 九州に垂る |
拙作では、頷連が1・3・3の構成ですが、これは敢て破格を試みたものです。
尤もそれが成功しているか否かは別問題で、やはり不自然さを免れないかも知れません。
むしろ問題は、頷連と頸連との関係性で、「謁中山稜」という詩題である以上、孫文の事績を詠ずるのは当然とはいえ、詠み込みすぎて両連がつきすぎという難点があります。私如き未熟者には律詩はまだまだ尚早ということでしょう。
いずれ作詩の達者である全日本漢詩連盟の皆様が、南京詩詞学会の皆様と吟行しつつ、詩を唱和しあって、金陵清遊をともにできれば、近年稀な文事となることは勿論、必ずや中・日文化交流にも大いに資することとなるでしょう。その雅集の実現を楽しみに致しております。


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