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随想もろもろ
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劉禹錫、白居易、謝霊運、を通して、作詩において典故を利用するとはいかなることか、考えてみたい。
作詩に典故を利用する場合、単に個々の字句表現に重厚味を添えるだけではなく、その詩全篇の性格を大きく決定づける効果をもたらすことも少なくない。
中唐の詩人劉[りゅう]禹錫[うしゃく](772-842)、字は夢得[ぼうとく]に、
「樂天少傅、五月長齋、廣延緇徒、謝絶文友、坐成睽閒。因以戲之」
(楽天[らくてん]少傅[しょうふ]、五月[ごがつ]長斎[ちょうさい]して、広[ひろ]く緇徒[しと](僧侶)を延[ひ]き、文友[ぶんゆう]を謝絶[しゃぜつ]し、坐[そぞろ]に睽間[けいかん](阻隔)を成[な]す。因[よ]って以[もっ]て之[これ]を戯[たわむ]る)
と題する五言二十句の長篇詩がある。
この詩は、文宗の開成3年(838)5月、当時太子少傅分司(従二品)として東都洛陽に在った熱心な仏教徒白居易[はくきょい]が、長期にわたる斎戒の間、広く僧侶を招くばかりで、劉禹錫たち平素の文人仲間を寄せ付けず、いつの間にかその交友関係が疎遠になってしまったので、劉禹錫がこの水臭い居易の態度を皮肉一杯に次次と並べ立て、最後には東晋の熱狂的な仏教信者何充[かじゅう](292-346)、字は次道[じどう]までも持ち出して、
「不知何次道、作佛幾時成」
(知[し]らず何次道[かじどう]、仏[ほとけ]と作[な]らんとして幾時[いくとき]か成[な]る)──
(いったいあの何次道でも、あれほど仏になろうと努めながら、いつ成仏[じょうぶつ]できたのかい)
と、痛烈なからかい文句で締め括った戯弄作品である。
なお、この何次道が「仏と作らん」とした故事は、南朝宋の劉義慶『世説新語』排調篇に見える阮思曠(阮裕)が何次通をからかった言葉──
「我圖數千戸郡、尚不能得。卿迺圖作佛、不亦大乎」
(我[われ]は数千戸[すうせんこ]の郡[ぐん]を図[はか]るも、尚[な]ほ得[う]る能[あた]はず。卿[けい]は迺[すなは]ち仏[ほとけ]と作[な]らんことを図[はか]る、亦[また]大[だい]ならずや)
に基づく。
一方、前述の戯弄詩を劉禹錫から受け取った白居易もさる者──。
白居易(772-846)は、劉禹錫のこの詩に対して、不日、同じく五言二十句の長篇を酬答しているが、それが「酬夢得以予五月長齋延僧徒絶賓友見戲、十韻」(夢得[ぼうとく]が予[よ]の五月[ごがつ]長斎[ちょうさい]して僧徒[そうと]を延[ひ]き賓友[ひんゆう]を絶[た]つを以[もっ]て戯[たわむ]れらるるに酬[むく]ゆ、十韻[じゅういん])と題する作品である。
私の見るところ、居易のこの酬答詩も、禹錫の戯弄詩の表現様式に準じて、おおむね第一聯から第八聯までの十六句は、終始一貫みずからの「長斎」期間中の敬虔な修業態度を次次と詠出しつづけ、その詩意把握もさほど困難ではないが、問題は結末の四句──
「蒙以聲聞待、難將戲論爭。虚空若有佛、靈運恐先成」
(声聞[しょうもん]を以[もっ]て待[たい]するを蒙[こうむ]り、戯論[けろん]を将[もっ]て争[あらそ]ひ難[がた]し。虚空[こくう]に若[も]し仏[ほとけ]有[あ]らば、霊運[れいうん]恐[おそ]らくは先[ま]づ成[な]らん)
の解釈、とりわけ最後の二句をどのように把握するかである。
まず「蒙以聲聞待」に見える「声聞」は、仏教語。釈尊の教えを聴聞する修業者の意。また「難將戲論爭」に見える「戯論」も、仏教語。世俗的な戯れの談論の意。
ついで、結びの二句「虚空若有佛、靈運恐先成」の解釈については、例えば、従来一般に長く読まれてきた佐久節『白楽天詩集』(『続国訳漢文大成』、1928年刊)の所収の和訳を示せば、
「虚空[こくう]に若[も]し仏[ほとけ]があるならば、吾[われ]こそ先[ま]づ其[その]功徳[くどく]を得[う]るであろう。」
という。
この佐久訳によれば、結句の「霊運」を「吾[われ](白居易自身)」と訳し、「成る」を「(仏の)功徳を得る」と訳しているが、私の見るところ、この和訳は、どう考えてもその場しのぎであり、著しく牽強附会である。
思うに、この白居易詩の二句は、ごく最近中国の学者謝思煒が『白居易詩集校注』(2006年7月、中華書局刊)でいみじくも指摘したように、実は『宋書』謝霊運伝にいう──
大守孟顗事佛精懇、而爲靈運所輕、嘗謂顗曰‥「得道應須慧業。丈人、生天當在靈運前、成佛必在靈運後。」顗深恨此言。
(大守[たいしゅ]の孟顗[もうぎ]は、仏[ほとけ]に事[つか]ふること精懇[せいこん]にして、霊運[れいうん]の軽んずる所と為[な]り、嘗[かつ]て顗に謂[い]ひて曰く、「道を得るには応[まさ]に須[すべから]く慧業[えごう](智慧に裏づけされた行意)あるべし。丈人[じょうじん](孟顗)は、天に生まるること当[まさ]に霊運の前に在るべく、仏と成ること必ず霊運の後[のち]に在らん。」と顗は深く此の言を恨む。)
に依拠しているのである。
つまり白居易は、この謝霊運の軽蔑の言葉を踏まえて、同じく自分を戯弄した劉禹錫をこの霊運になぞらえ、上述の結末四句をもって、「私は、貴君(禹錫)から敬虔な仏教修業者としてあしらわれたので、今さら世俗的な空論を戦わすわけにいかないが、もし、天空に仏が生まれるならば、かの謝霊運にも擬すべき貴君は恐らく私より先に成仏(往生)するだろう」と、これまた劉禹錫を痛烈に皮肉り、からかったわけである。
典故の効用や、正に知るべし。


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