特別企画の記録集
投稿論文
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前回に述べた、後始末のつけ方とは表と裏のような関係にある伏線に就いて書いてみたい。
詩の中に表われた語や句が、前後の関係を無視するかのように突如として出てくることがある。詩は元来、意外性が求められるものであるから唐突それ自体は決して悪いことではないし、寧ろ必要なことである。然し、その語や句だけが浮き上ってしまったら、意外性が単なる孤立した、役に立たないものになってしまう。
其処で、前回は後始末に就いて述べたが、今回は伏線を置くことにより、孤立を救う方法を示してみたい。詩の実例は何れも筆者の教室の出席者の詩か、或いは添削を依頼されたかの詩である。先ず原作を示す。
| 淑氣晴光陽景晨 | 淑気 晴光 陽景の晨 |
| 花枝欲動鳥聲新 | 花枝動かんと欲し 鳥声新たなり |
| 欣嘗七草雙弓米 | 欣び嘗む 七草 双弓の米 |
| 池水溶溶豔麗春 | 池水 溶々として 艶麗の春 |
この詩は、今年の人日(1月7日)に作られた詩である。人日とは陰暦正月七日を指すが、古来、中国では、この日の天候で人類全体のその年の運勢を占い、晴れなら幸いがあり、曇りなどなら災いがあると言われていた。其処で、起句では正月であるから「淑気」(春のおだやかな気)や「晴光」が辺[あた]りに満ち、「陽景」(太陽の光)の晨[あした]だとした。
然し、この句では、「晴光」が既にあるから「陽景」は重複となり、不必要な語であるから削らなければならないが、第二句以下のことを考えて、どのように直したかは後述する。
承句は、花が咲こうとしている枝で、鳥の初めて鳴く声が聞こえてくるという情景を出して、人日の舞台装置とした。次の転句で、昔から各家庭で風習として行なわれている七草粥を食べる様子が詠じられた。この中の「雙弓米[そうきゅうまい]」は、二つの弓と米で粥という字が出来ることから、このような表現が生まれたのである。
さて、問題は結句の「池水」である。起句から転句までの舞台装置の中には、如何なる場所かは出て来ていない。従って、正確に言えば舞台装置は未完成であった。結句で場所を詠じた「池水」は何処にある「池」なのか、これだけでは分からない。
つまり、唐突に出て来たから、何処にある「池」かを示す伏線を必要とするのである。野にある池か、庭にある池か、或いは山中にある池か決めておかないと詩全体があやふやになる。其の為、起句で不要となった「陽景」の代りに「幽苑」とした。
これで結句の「池」は静かで奥深い庭にあることが分る。「溶溶」(広大なさま)を「漾搖」(波のゆらゆらするさま)に直し、「艶麗」(つやつやして美しい)は詩の雰囲気とは合わない表現であるから「涵孟春」とした。
| 淑氣晴光幽苑晨 | 淑気 晴光 幽苑の晨 |
| 花枝欲動鳥聲新 | 花枝動かんと欲し 鳥声新たなり |
| 欣嘗七草雙弓米 | 欣び嘗む 七草の双弓米 |
| 池水漾搖涵孟春 | 池水漾揺して孟春を涵[ひた]す |
もう一首取り上げたい。原作は次の通り。
| 雲霽輕風殘菊香 | 雲霽れ軽風に残菊香り |
| 山居橘柚竹籬黄 | 山居 橘柚 竹籬に黄なり |
| 窓前閑坐鐘聲到 | 窓前閑に坐せば 鐘声到る |
| 微醉陶然浴斜陽 | 微酔 陶然として斜陽に浴す |
この詩の起句は、曇っていた空が晴れて微風が吹き、庭先きでは菊が残りの花を咲かせ、風が香りを運んでくると描写したが、題に「小春」(陰暦十月)とあるから「軽風」ではなく「西風」(秋風)が相応しい。尤も、陰暦十月は冬であるから厳密に言えば吹く風は秋風ではないが、詩であるから此の程度の誤差は容認出来よう。
承句では、題が「村居」となっている為、「山居」ではない。従って、此処は「茅居」に直した上、「橘柚」の黄色い実が「竹籬」にあるとするよりも、単に垣根から出ているとした方が趣がある。
さて、転句は飛ばして先に結句を見ると、「微酔陶然」とあるが、何処で酒を飲んだか分らない。つまり、その伏線が無い。それ故、転句の「閑坐」を「閑酌」(静かに酒を飲む)とすれば此の問題は解決する。そして、「鐘声到」の「到」を「緩」と変えることにより詩の全体の雰囲気が軟らかくなる効果がある。換言すれば、冬の初めにホッとする暖い小春日和の中での作意を象[かたち]にしたと言えよう。
| 雲霽西風殘菊香 | 雲霽れ西風に残菊香り |
| 茅居橘柚出籬黄 | 茅居 橘柚 籬を出でて黄なり |
| 窓前閑酌鐘聲緩 | 窓前 閑に酌めば 鐘声緩やかに |
| 微醉陶然浴夕陽 | 微酔 陶然として 夕陽に浴す |
こうすれば、小春日和の日に風が菊の残りの香を送り、橘柚の黄色い実が垣根から顔を出している。そのような村居に在って、閑[しず]かに一杯飲[や]っていると、ゆるやかに鐘の音が聞こえてきて、些か酔って悠々と夕日を背にしている閑適の有様が分るであろう。