特別企画の記録集
投稿論文
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前回、異なった見方からの絶句の起・承・転・結に就いて述べたが、その続きを考えてみたい。
| 渭城朝雨浥輕塵 | 渭城の朝雨 軽塵を浥し |
| 客舍靑靑柳色新 | 客舎 青青 柳色新たなり |
| 勧君更尽一杯酒 | 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 |
| 西出陽関無故人 | 西のかた陽関を出づれば 故人無からん |
これは、王維が安西(中国の甘粛省のはずれにある西域の守りの要衝)へ使いする元二(二は排行、名は不明)を、渭城(渭水をはさんだ長安の対岸の町)で送った詩であるが、起句と承句は其の風景である。
起句は「(西へ旅する人を送る習慣のあった)渭城の町は、別れの朝、夜来の雨で軽くあがる土埃りを浥し。」、承句は「旅館の前の芽ぶいたばかりの柳の葉の青い色が濡れて一段と美しい。」という、埃の立たない春の朝のしっとりとした景を描いている。つまり、起句での渭城の町の雨に濡れた景に、承句で「その上、別れにつきものの柳の青が鮮やかだ」と光景を連結させ、次の転・結句への展開を待った。
唯だ、この二句の景の中、承句の「柳」は単なる景だけではなく、柳は右に述べた別れを象徴するものであるから、結句の伏線にもなっている。
次の転・結句は、起・承句の景に対し、情である。
転句は「(昨夜、別れの宴を張ったが、旅立ちの前に今朝も──これが(更に)で表わされている──)元二よもう一杯ぐっと飲ってくれ。」と送別の刹那の情が詠じられている。前二句の景からの転換の「いよいよ」だなという気持が伝わってくる。結句は、転句の情が起ったのは「西の彼方の陽関(敦煌近くの関所)を出たなら(地の果ての安西まで)酒を酌みかわす友人も居ないのだから。」という思いからである。転句と結句は、本当は順序は逆だが、作者の情を強調する為、このようにしたのである。
この四句を整理すると次の通りである。
起句 作者の居る「風景」を詠じ、
承句 「その上」同じ場所での風景描写を重ねる。
転句 「いよいよ」だなと、景から情への転換を目論んだ。
結句 「だから」と転句の情を後から更めて理由づけをした。
次は、これも有名な詩である。
| 朝辞白帝綵雲間 | 朝に辞す 白帝彩雲の間 |
| 千里江陵一日還 | 千里の江陵 一日にして還る |
| 両岸猿声啼不住 | 両岸の猿声 啼いて住[や]まざるに |
| 軽舟己過万重山 | 軽舟 已に過ぎる 万重の山 |
この詩は、李白が白帝城から江陵(湖北省江陵県)までの舟旅をした時の絶唱である。
起句は「早朝、朝焼け雲が棚引く白帝城より船出をした。」と詩人は自らの「状況」を視覚によって詠じているが、その中には旅に出る昂揚した気分が十分によく発揮されているのを伺うことが出来る。更に、「白」と「彩(赤)」との色を対比させ、口調は甚だ滑らか、且つ雄大である。
そして承句は視覚の続きである。起句を承[う]けて「それから」どういう世界が展開したかを述べている。「白帝城から江陵まで千里(実際は六百粁)もあるが、その間を僅か一日で航行した」というのである。本当は何日か掛ったのを、千里を一日でと詠じて、舟のスピード感を出している。この「千」と「一」、その上、この句が結句の「軽舟」と「万重山」の伏線にもなっている。
転句は視覚から一転して聴覚によっているが、これは「所で」という場面の転換のやり方である。猿の啼き声は、古来、中国では悲しさを誘う独特の表現方法であるが、昂揚した作者の気持に水を差す程ではなかったのだろうか。ともあれ、「両岸から聞こえてくる猿の声は、航行中ずっと附纏っていた。」
そして、結句は「こうだった」と、再び視覚に戻り「自分の乗った小さくてスピードの出る舟は、“あっ!”と言う間[ま]に(已にで表現されている)幾つも重なり合った山々の間を通り過ぎてしまった」とした。
これを纏めると、次のようになる。
起句 作者の行動の「状況」。
承句 「それから」どうだったか。
転句 「所で」と、視覚から聴覚への転換。
結句 「こうだった」と、再び視覚へ戻るが、長旅を終えた充足感も伝わってくる。
さて、次も人口に膾炙した詩である。
| 独坐幽篁裏 | 独り坐す 幽篁の裏[うち] |
| 弾琴還長嘯 | 弾琴 還た長嘯[ちょうしょう] |
| 深林人不知 | 深林 人 知らず |
| 明月来相照 | 明月 来たりて相照らす |
この詩は、詩人の別荘である川荘の二十景を詠じた詩の一首で、題は竹林の中にある建物を言う。
起句は「独りで奥深い竹薮の中に坐っている。」と常套的に作者の居る「状況」を先ず詠じた。
承句は、具体的に何をしているのか、起句で言い足りなかったことを詠ずる。即ち、「琴を弾[ひ]いたり、長嘯したりしている。」のである。(琴を弾[ひ]くのは昔の中国の士大夫の嗜の一つ。又、長嘯は肺一杯に空気を吸い込み、その空気をゆっくり少しずつ出す一種の健康法。)つまり、「そして」このようなことをしているというのである。
転句は、起・承句で詩人が居る場所を明かす。つまり、「そこは、深い林の中だから人は誰も来ない。」ので、起句の「独坐」が此処でも生きているし、寧ろ、独りを楽しんでいる気分が次の結句に繋がっていく。
結句は「(人は来ないが、)明月はやって来て、私を照らしてくれる。」とだけ言っている。これは、転句の人間は来ないに対し、「だけど」月は来てくれるという、俗世間を離れて竹林の奥で閑適を楽しむ悠然たる境地を、余計なことを言わず、たった五字で表現した。
この五言絶句は、宮仕えをしていた当時の王維の日常生活を切り離し、自然の中の別天地に身を置いた感懐をまざまざと知ることが出来よう。
これを整理すると、次のようになる。
起句 作者の動作。
承句 「そして」起句の動作の追加
転句 「そこは」起・承句での作者の居る場所の説明と結句へのバトン渡し。
結句 「だけど」として、バトンを受け取った。
尚、この詩は仄韻の詩である。又、結句の「相」は互いにと言う意味ではなく、或る動詞(この詩では照)が単に相手があることを示す接頭辞である。つまり、相手とは王維に他ならない。