特別企画の記録集
座談会・対談の記録
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住田 私は高校生にもっと働きかけることが必要だと思います。福井県で永井光龍さんが三国高校に漢詩クラブを作って、指導されていますが、ああいう働きかけがもっともっと必要だと思います。私は石川先生と高校が同じ(都立戸山高校)で、一度先生に講演してもらったことがあります。大変たくさんの学生がつめかけて、好評でした。
そんなわけで母校に漢詩クラブを作りたいと思いはじめました。漢詩のルールと詩の鑑賞ぐらいは私でもできるので、あと、2、3ヵ月に一度位、石川先生に来ていただいて、作詩の指導をしていただく、というやり方でつづけられないかと考えているところです。そういう意味で、二松学舎の大学生・高校生対象のの漢詩コンクールは、すそ野をひろげるためにいい試みだと期待しています。
石川 福井の場合、学校のクラブとしてつくって、地元の長老たちが指導する、というやり方はとてもいいでしょうね。これが一番手っとり早くて効果的かもしれない。長老たちが元気なうちに、この方法をひろげていければいいのですがね。
─ 他の地域にもありますか。
石川 まだ、この一例だけですね。でも、こういう方法があるよ、ということが知られてくると、やろうというところもでてくるにちがいない。この間、行田市へ行ったんだが、そこには藩校進修館を守る会があって、そこでは今、幼稚園から小学校低学年までの子供たちが、論語の素読をやっているんです。
─ 藩校といえば、数年前から、藩校サミットも始っていますね。
石川 そう。藩校サミットの話を聞きつけて、方々から私のところでもやりたい、と名乗りを上げる地方の藩校が続々出てきているんです。おもしろいものですね。藩校を中心にした地元の活動が盛んになってくるのも、拠点とみなしてもいいと思うんです。また、毎年の国民文化祭でも、漢詩大会をやるところがふえています。今年は残念ながら、山口県はできませんが。
こういう藩校サミットや国民文化祭の漢詩大会などが有機的につながってきて、点が線になり、面になる、という形になってきつつあると、私は大いに希望をもっています。
福原 私と漢詩の出会いは幼年学校時代です。毎年、山地訓練があって、山形と福島の県境にある大東岳に徹夜行軍したことがあります。途中、かもしかが鳴くんですよ。1年生の宿題に短歌があって、「ほのぼのと空しらみゆく朝まだきさやけき一声かもしかの鳴く」と一首つくったら、これが何と全校で1位になったんです。そんなことから、漢詩にも接するようになり、その魅力も知りました。
それから戦後の昭和28年、野口英世博士記念館に石塚三郎理事長を訪ねたことがきかっけで、少し指導をうけ、漢詩を作ってみようという気になりました。会社の仕事が忙しくて、はじめはせいぜい1年に一首、というペースでした。それでも、石塚先生から東洋文芸誌「東華」をもらい、さらに漢詩作法の教えをうけることが、何よりの楽しみとなっていたのです。
その後、井上萬寿藏、裁錦会の安武政敏先生を師と仰ぎ。そこから二松詩文会に入会というコースをたどって、現在に至っています。何かきっかけがあれば、漢詩への興味はフッと湧いてくるわけで、実は年齢はあまり関係ないかもしれません。感性があれば、そして人との出会いがあれば、何歳になっても漢詩の道にふみ分けて入っていけると思います。
菅原 私は昭和14年の生まれで、漢文を意識しはじめたのは多分、中学の頃でしょう。担任の先生が書道が好きで、それで漢詩にも目が開かれた。論語などを読まされたり、書かされたりしました。高校時代はテニスにあけくれて、国体に出たり、書道、漢詩とは縁がなかった。大学に入って軟式テニス部がなくて、何をやろうか、と悩んだとき、フッと思ったのは中学時代に書道をやっていたときのことでした。たまたま金子清超先生と知り合って、清眞会に入ったのが昭和35年です。自詠自書の先生でしたから、漢詩も習いはじめたわけです。サラリーマンで転勤したりしていて、やや本格的に習いだしたのは昭和56年頃からです。やっぱり漢詩が好きだったのでしょうね。石川先生のラジオ、テレビの漢詩講座はずっと聞いておりました。先生の中国語の朗読がいいですからね。
とにかく根本は漢詩が好きだ、ということでしょうね。これ以外にない。