連盟の活動報告
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昨年の第1回の旅は、新設なった九州国立博物館と廣瀬淡窓の生地を尋ねたが、今年は第2回で、飫肥[おび]藩に安井息軒の生地を訪ねることが主な目的だった。
1月5日、早朝ANA便で羽田を発って、11時に宮崎空港に到着、待ちうけていてくれた観光バスに乗り込んだ。ガイドさんは何と、昨年と同じベテランの飯盛千恵子さんという方で、一同大いに喜んだ。
昼食後直ちに向かったのは、新年のこととて宮崎神宮。こちらは神武天皇が祭られている。それから一路南へ、日南市清武町に下る。
ここは飫肥藩伊東家5万1千石の城下町で、九州の小京都といわれているだけあって、江戸時代の雰囲気がしっかりと残されている。早速清武町歴史館を尋ねて町の歴史や、安井息軒の事跡などを学ぶ。
後に湯島聖堂の塾頭にまで出世した息軒だが、幼時に天然痘にかかり、美男というには程遠い容貌であった。村の庄屋の姉娘との縁談があったが、姉娘が是を嫌っていることを知った妹娘が、自分が是非ともと、申し出た。妹の方は村一番の美人の評判が高かったので、みんな驚いた由なるも、終生学者の夫をよく支え続けたという。森鴎外の小説『安井夫人』の主人公その人である。
息軒の生家を尋ね、居室、用いていた机、など、幕末の大儒の育った空気を共にし、一同そろって記念写真を撮った。
息軒40歳、江戸へ移る折の『出門』と題する詩が残されている。
| 満目悲妻孥 | 満目 妻孥悲しむ |
| 離觴強自傾 | 離觴 強いて自ら傾く |
| 呼奴装急治 | 奴を呼んで急を装いて治む |
| 不覚涙暗横 | 覚えず 暗横に涙す |
以来息軒は77歳で江戸で没するまで故郷に帰る機会はなかった、という。
それから鬼の洗濯板の上に浮ぶ青島神社におまいりした。ここには山幸彦とその妻豊玉姫が祭られている。夕陽を背に、この日の宿泊先、青島パームビーチホテルに入った。
6日、鵜戸神宮を参拝の後、再び飫肥に戻る。鵜戸神宮は神武天皇の父であるウガヤフキアエズの尊が主祭神である。大鳥居の朱色が朝日に映えて美しかった。 飫肥では藩主の屋敷であった豫章館、飫肥城歴史資料館、武家屋敷の旧伊東伝左衛門邸、豪商の旧宅山本猪平邸、旧藩校の振徳堂などを訪ねて、藤原南家子孫の伊東氏が1587年に入って以来幕末までの280年にわたる小京都の雰囲気を楽しんだ。
この地からは又、明治の外務卿小村寿太郎が出ている。その生家と国際交流センター小村記念館を訪ねて2日目の宿の霧島山上ホテルに向かう。
前日まで晴天であったが、夜中雪が降って、白一色の中を、霧島神宮に参詣する。幸い雪は既にやんで、晴れとなった。こちらは天孫降臨の大本、ニニギの尊をお祭りする。君が代の歌に出てくるさざれ石の見本?が鳥居の前に置かれている。紀州の奥地よりの寄進という。
その後は一路鹿児島にくだり、先ず鶴嶺神社にお参りする。島津家800年の歴代当主とその家族を祭る。偶然にも、石川先生旧知の島津現当主とお会いした。その後に島津ヘリテージの仙厳園、尚古集成館を散策、記念撮影をした。
最後に、島津家28代藩主斉彬侯を祭る照国神社にお参りした。ここの宮司は先ほどお会いした島津家現当主で、今度はお待ちくださっていて、記念館を自らご案内いただき、恐縮した。市内で本場のさつま揚げやかるかん、焼酎などの買い物を楽しんで、鹿児島空港からJAL便にて羽田に向かい、3日にわたった楽しい旅を終わった。
当日の柏梁体に旅の様子がよく現れているので、最後にご紹介したい。
碧空波白日南春 旗野ヒデ
碧天青島白沙濱 岩鉄礼子
淼茫望海五尺身 石川晏子
碧海渺渺陽光新 山田隆幸
朱門映松海波銀 住田久子
改暦日向拝諸神 長場弘子
飫肥城址空濠巡 渡邊満千子
庭前寒椿発紅脣 榎本節子
先哲庭梅香気匀 和 睦子
大儒究学自有真 平賀和子
振徳門下士幾人 関谷 則
大儒息軒君侯賓 窪田美年子
飫肥城中古賢親 豊岡 敏
偉人功業盡列陳 岳堂先生
(小村寿太郎記念館)
看盡日南共斟醇 安食敏子
千山嵐気月一輪 斎藤幸子
霧島料理天下珍 松川勝美
人日六花淑気頻 住田笛雄


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