連盟の活動報告
文化祭・漢詩大会の報告
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まず全国の名勝を詠じたものから申し上げる。
この区分については7人7首を選んだ。名勝というのは風物の詩題の読み方で大半の評価が定まる。古くから名勝は多くの詩人たちによって残すところ無く歌い上げられているので、今日それを詠ずるには余程新しい着眼点がなければ評価に値しない。初めて、リアリティーを持ちうるという計算の元に、一つの明確な見立てという具体化によって、景物と情緒を融合させて大変成功したのが、森下智恵さんが文部科学大臣賞を得られた所以であります。
続く2首の嵐山を詠った川端恵美さんと横田静子さんの詩は、名勝地としての新鮮味はほとんど無い。名勝の名勝たる所以の景物の美しさを嵐山のどのあたりに求めるのか、については嵐山を詠じた3首目の平兮宗賢さんを含めて三者三様だった。
宇宙とか晴れ間とか夜景とか、それぞれに詩題そのものの価値を認めます。雨と晴れを詠った2首は、中国の18世紀、清朝の詩人たちあるいは江戸時代の後期から明治時代に流行した流れで、森春涛という詩人が清朝の3人の大家を詠った詩を出版して、春涛調ともいうべき風を世に広めた。
そういう風を踏まえた点が目に付いた。先の選ばれた二人の詩は大変相似点が多く、よく似ている。一人の人の2作かと思えるくらい。表彰の時にお二人を拝見して違うことがはっきりしたのだが、結句などは本当によく似ている。これが清朝の詩人や日本のまさに春涛調である。音声的にも音韻的にも言葉の配置がまことにきれいである。そういうところを今の日本で再び清朝の詩を読ませてもらえる、嬉しいことである。
3人目のかたの嵐山はこれは純粋な風景詩ではない。風景を素材にして自分の感慨を述べている。風景と情とを、難なく纏め上げた作品である。
また、栗林公園を詠った森本虎雄さんの詩があった。その美しさの表現として色々な方法があるのだが、この詩は第一句と第二句が対となっており、第三句と第四句がまた対となっている。すなわち全対格である。少々表現法に習熟すればそれほど難しいことではないが、しかし栗林公園の景色を全対格でまとめようという発想が面白く、それを評価した。
景物のもう一つは井門明彦さんの阿波踊り。これは実景というものを四句の中にどう表現するか。俳句でもなかなか捉えにくいようだが、なかなか難しい。これは阿呆になれば、ということかもしれず、踊らにゃ損そんということか。表現の仕方としては大変に卒が無く、無駄がない。必要なところをよく押さえている。その点は感心した。第三句の呆と化すは和習である。日本人にしかわからない表現である。
しかしこういう試みもこれからの日本人の漢詩としては取り入れて行かねばならならぬと思う。日本人らしさが現れて来て然るべきものと思うので、これから皆さんがこういう工夫をされることも悪くない、という思いをこめて評価した。
先哲を詠ずる詩について。
歴史上の人物を詠う、或いは歴史を詠う、詠史である。そのためにたとえば東京の松雲堂という書店から良い参考書が出ている。どういうことのあった場所なのか、どういう歴史上の事件なのか、その事件がどういうことで評価を受けているのか、など勉強してほしい。
風景を取り扱ってもそれにより自分の情意を表すので、単なる景物詩ではない。応募作の多くはそこのところが判然としていなかった。
人物のほうについてもこれまた松雲堂から良書が出ている。そういうものを勉強し、古人の作例を学んでいてくれておれば、もっともっと良い詩がたくさん集まったのではないかと残念だった。特に人物を詠う詩を作ることについてはかなり別個の修練が必要である。取り上げる人を称えることが多い。
我々の少し前の時代の人は漢文を書いていたので、それは何でも無いことだったのだが、今は詩から入る人が多いので、そういう修練を積んでくれると、先哲を詠じてもっともっと良い詩が多く集ったのだろう、との思いが強い。
更なる研鑽を期待したい。